発売日になりました、しかし実は私もまだ到着待ちで、改めて作品を聴いてはいません。にもかかわらず、と前置きして。一旦切ったのは、「ヴィアンドラ」未聴の方は読まない方がよさそうなことだから、発売日を待っていたのです。というのは。
今年1月、Chickenhouseで話している最中ラーシュは、興が乗っていたせいか、まるでその時の話の流れとは関係無しに、こぶしを握り締め振り下ろし、きわめて強い調子でこう言いました。「Music is MY EXPRESSION! これは絶対に譲れないことだ!」大変な力説、大演説でした。正直言って、そんなにリキまなくても…と思ってしまいました。
だってラーシュの音楽が大好きでずっと聴いてきた私には、彼の音楽、特にソロ作品は、内面的な必然性に基づく、彼のパーソナルな表出であることは自明だったからです。彼の音楽はほとんどインストだけど、プログレだのトラッドだの北欧だの言うよりむしろ、まるで自己の内面を吐露するフォークシンガーのように、雄弁に彼自身を語るものだと思っていたからです。
たとえば前述した「Viandra」は、とてもピースフルで心やすらぐ曲です。だがこれは「癒し系の曲を作ってやろう」として作られた曲なのでしょうか?そうじゃない。彼が、自分はこういう心やすらぐ時を経験した、それを音楽表現に変えて記録に留め、皆に届けたかったという事なんだろうと思います。
ただ、彼が経験した事とは具体的には何だったのか?という話になると、答えは簡単には出ません。だって歌詞も無ければ解説も無い、タイトルのみが付与されたインストの楽曲ですから。それを想像、共感することはできます、「ああ、何かよほど楽しいことがあったんだろうな」とか。それが彼のソロ作を、旧友からの便りのように待ってしまう理由であり、作品の楽しみ方でもあります。
しかし。彼自身が、具体的に曲の由来を語ってくれるなら、話は別です。私はわずかですが、「Viandra」についてそういう話を聴けました。ちなみにサムラの「Klossa Knapitatet」のLP付属リーフレットには、サムラのそういう「曲の成り立ち」について触れている部分があって、ファンにはとても興味深いものになっています。
でもこの「曲の成り立ち」って、いわば楽曲の「種明かし」みたいなもので、聴く前から知るのは、推理小説を読む前に真犯人の名前を教えられるようなものじゃないでしょうか。だから以下は、できれば「Viandra」を何度も聴いた方のみ読んでいただければと思うのです。
* 激しいパートと穏やかなパートが交互に現れる曲
L「これは私が、何か困難な課題に取り組んでいる時のストレスを表現した曲なんだ。ガガガガガーッと取り組む、やっつける!…ハァハァ、ちょっと一息入れよう。…また、ガガガガガーッ!…まあまあ、ちょっと落ち着いて考えよう。それの繰り返しなんだ。」
* Folkdronという曲
これについてラーシュは、「アルバム最後の曲にするつもりだ」としか言いませんでした。
彼にかつて、こういう曲は無かった。悲劇的なトーン。不安と絶望に満ちた気分で出口の見えない迷路を行くような、そんな雰囲気。
お気楽な評論家なら「新しい趣向」などと喜べるかもしれません。しかし上記のような受け止め方で彼の音楽を聴いてきた人なら、こう思わずにはいられないでしょう。「どうしたの?ラーシュ、あなたに何があったんだ?」
その後の話の中で、彼はこう言いました。
「日本での経験を経て、私の人生は、完全に、完・全・に!変わってしまった。私は、不幸な男だ。」
私は、彼の今日の不幸を、5年前に予期していました。100%とは言わないが、まずそうなるだろうと思っていました。しかし私には、それを止める術が無かった。そして予想が外れる、紙のように薄い可能性に期待をつないでいたのです。しかし、それは叶わなかった。
以上です。

